田路貴浩研究室
京都大学大学院工学研究科建築学専攻 建築設計学講座 生活空間設計学分野
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分離派100年研究会

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次回案内

第8回

分離派建築会とウィリアム・モリス
杉山真魚(京都大学 助教)

19世紀末の英国においてアーツ・アンド・クラフツ運動を主導したことで知られるウィリアム・モリス(1834−1896)の思想や作品は近代建築の黎明期に広く参照された。分離派建築会のメンバーであった蔵田周忠も1926年の著書『近代英国田園住宅抄』の中でモリスによる「赤い家」を取り上げている。本発表では、分離派建築会が設立された時期に興隆をみた「改造思想」などに言及しながら、日本におけるモリスの受容過程の一端を振り返る。

「ジョン・ラスキン」とは誰か ― 思想史記述の方法としての受容史
江本弘(東京大学 後期博士課程

ヴィクトリア朝イギリスの思想家ジョン・ラスキン(1819-1900)の名は、その芸術・社会思想ととも に、19世紀末ごろから広く世界に普及した。しかし、この一連の受容のなかで「ラスキン」 が意味する幅は広く、建築論壇においては、その名はむしろ、論客たち自身の建築観を語る依代としての機能を持っていた。本発表では、日本を例 にそのようなラスキン受容の性質を考察し、そこから浮かびあがる近代建築思潮の変遷を素描する。 参考:「日本の戦前建築会におけるジョン・ラスキン受容に関する研究」『建築史学』第63号, 2014年9月
日時:2015 年 9 月14 日(月) 13:30―17:00 
場所:京都大学 吉田キャンパス 詳細未定

入場無料  PDF

○ 入場無料 
○ 定員30名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)
法澤(京都大学田路研究室)ta-hosawa@archi.kyoto-u.ac.jp
○ 研究会後、懇親会を予定しています。

  

 

開催記録

第7回

創宇社と分離派の距離について ― 山口文象を中心に
佐藤美弥(埼玉県立歴史と民俗の博物館 学芸員)

分離派建築会の会員でもあった山口文象(1902-1978)と逓信省の営繕部門に勤務する技手・雇員の同僚たちが1923年の関東大震災直後に結成した創宇社建築会の評価は、分離派の模倣という強固な語りに未だ囚われているように思われる。そこで「建築運動」の史学史を踏まえたうえで、山口の著述・作品を中心とする資料に分析を加え、分離派との関係、創宇社の独自性とその展開を明らかにし、歴史学の立場からその歴史的意味を再考する。 参考:「もうひとつの建築家像――創宇社建築会から戦後へ」『建築雑誌』2013年11月号

蔵田周忠 ― 分離派の“分離派”として
岡山理香(東京都市大学 准教授)

第2回分離派建築展より山口文象とともに迎え入れられた濱岡(蔵田)周忠(1895-1966)。イデオロギー的には、分離派建築会の表現主義的な芸術観から、いち早く社会学的な方向への転換をはかりながらも、最後の第7回展までt出品を続けた。東大出身者ではないメンバーの立ち位置とはどんなものであったろう。村松貞次郎によって「分離派の“分離派”」と称された蔵田の分離派建築会への参加の意味とその後の広範囲にわたる活動について考察する。また、東京都市大学図書館蔵田周忠文庫の非公開資料、等々力ジードルンクに現存する一棟についても言及したい。
日時:2015 年7 月5 日(日) 13:30―17:00 
場所:東京大学 本郷キャンパス 工学部1 号館 3 階 建築学専攻会議室

入場無料  PDF

○ 入場無料 
○ 定員30名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)
法澤(京都大学田路研究室)ta-hosawa@archi.kyoto-u.ac.jp
○ 研究会後、懇親会を予定しています。

 

 

第6回

岸田日出刀の近代性とその諸相 ―― モダニズム・「橋」・伝統
岸 佑(国際基督教大学 アジア文化研究所 準研究員)

内田祥三とともに東大安田講堂を設計したことで知られる岸田日出刀(1899-1966)は、1920 年代後半からヨーロッパのモ
ダニズムの動向を積極的に紹介し、戦前・戦中・戦後を通して多くの設計競技の審査員を務め、東大建築学科で30 年以上に
渡り建築教育の担い手となった。戦前・戦中・戦後を通して、岸田の存在が当時の建築関係者のなかで大きいものであったことは、
建築人の回想などから窺い知ることができるものの、ゴルフや民謡に傾倒する趣味人としての姿もあいまってか、その評価や
位置づけは限定的なものに留まるように思われる。本発表では、岸田の残したさまざまなテクストや証言として残る岸田の姿
を通して、岸田を近代日本の精神史のなかに位置づけてみたい。

岸田日出刀の建築意匠学確立に向けた取り組み―― 昭和戦前期における研究・教育活動の諸相と展開
勝原基貴( 日本大学大学院 博士後期課程)

分離派建築会主要メンバー(堀口捨己、森田慶一ら)の2学年下に在籍した岸田日出刀もまた、蒼古たる建築計画の講義へ不
満を抱き、新風を吹き込まんとする若き情熱の持ち主であった。朋友・長谷川輝雄の急逝を受け、本格的に大学教官の道を歩
むことになるが、その活動は建築意匠学の確立に向けた取り組みであったと言える。これまであまり顧みられることのなかっ
た岸田の枢要な建築活動である研究・教育活動に着目し、前任者との比較や立原道造、丹下健三、浜口隆一らが在学した昭和
12 年度の必修科目「建築計画」、「意匠及装飾」の岸田直筆の講義原稿の読解を元に、モダニズム初期の岸田自身の近代建築理 解と岸田の展開した建築デザイン教育の特質を探る。
日時:2014 年11 月1 日(土) 13:30―17:00 
場所:東京大学 本郷キャンパス 工学部1 号館 3 階 建築学専攻会議室

入場無料  PDF  質疑概要PDF

○ 入場無料 
○ 定員30名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)
法澤(京都大学田路研究室)ta-hosawa@archi.kyoto-u.ac.jp
○ 研究会後、懇親会を予定しています。

  

 

第5回

堀口捨己の茶室  ―― 研究と作品
松崎照明(明治大学大学院 兼任講師)

 分離派建築会の中心として、日本の初期近代建築運動を担った建築家・堀口捨己は、同時に歴史の研究者でもあった。
 その数寄屋造、茶室および庭園の研究は、現在でも繰り返し引用される高度な内容を持つが、なかでも茶室の研究は質量
 とも群を抜いている。しかもそれは史料によって実証的に茶室の歴史を解明したに止まらず、常に造形手法の抽出を伴い、  
 新しい建築への応用をも可能にしている。

堀口捨己の建築論 ―― 茶室の「機能」と「表現」をめぐって
近藤康子(京都橘大学 助教)

分離派時代から堀口捨己(1895-1984)が主張するのは、建築における用と美との融合である。その究極的な事例として
取り上げられたのが、中世に建てられた茶室であった。茶室に見出された「機能と表現との一元的な完成」とは、どの
ような事態なのだろうか。堀口が茶室の背景にあると位置づけた茶の湯についての言説を手掛かりに、その内実を探る。 
日時:2014年7月13日(日)13:30―17:00 
場所:京都大学 吉田キャンパス工学部3号館西棟4階 W404室

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○ 入場無料 
○ 定員30名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)
法澤(京都大学田路研究室)ta-hosawa@archi.kyoto-u.ac.jp
○ 研究会後、懇親会を予定しています。

 

 

第4回

大正期日本の美学の研究方法論について
加藤哲弘(関西学院大学文学部 教授)

4 年間にわたるヨーロッパ留学から帰国して後の1900 年に東京大学の最初の美学講座主任教授に着任 した大塚保治(1868-1931)について、その講演「美學の性質及其研究法」(1900)の内容を確認しな がら、この時期の美学ないしは芸術学研究のあり方について考察する。可能であれば、1910 年に京都 大学に着任した深田康算(1878-1928)による美学の「研究法」との比較も試みたい。

森田慶一の思想形成 : 構造、ウィトルウィウス、ヴァレリー
田路貴浩(京都大学 准教授)

大正初期、中村達太郎、山崎静太郎、後藤慶二らのあいだで、構造の現象的な力動感が論じられてい た。「大正生命主義」が建築分野にも入り込んでいたのである。森田慶一(1895-1983)の論考「構造派に就いて」(1920)はこうした思潮を背景としている。構造に対する森田の関心はその後、古典主義 建築の結構へと向かい、ウィトルウィウス研究として結実する。それと同時に、九鬼周造を介してヴ ァレリーを知るが、その理解の手引きとなったのは深田康算から学んだプラトン哲学であった。

日時:2013年11月17日(日) 13:30 - 17:00
場所:京都大学 吉田キャンパス 百周年時計台記念館 2 階 会議室V

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定員30名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)

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研究会後、懇親会を予定しています。




第3回

分離派からインターナショナル・スタイルへ ― 山田守の戦前の建築作品を通して ―
岩岡竜夫(東京理科大学)
大宮司勝弘(東京家政学院大学)

分離派建築会の中心メンバーだった山田守は、東京帝国大学を卒業後、直ぐに逓信省の営繕技師としてキャリアを積んでいくが、同時に分離派建築会作品展に1928年まで参加している。東京中央電信局(1925)や聖橋(1927)は、分離派として山田守の(あるいは分離派の)集大成ともいうべき建築であった。1928年に設計した千住郵便局を最後に、山田は約10ヶ月間の欧米視察へと旅立つ。帰国後、1930年に竣工した電気試験所大阪出張所(1930)の写真は、リチャード・ノイトラの仲介によって、1932年にMoMAで開催された「インターナショナル・スタイル」展のカタログに掲載されることになる。

分離派建築会結成の背景
角田真弓(東京大学 技術専門職員)

大正9年堀口捨己、山田守、石本喜久治ら東京帝国大学工科大学建築学科の同級生により分離派建築会は結成された。この一部の学生による自主展覧会は単なる学生活動に留まらず、後の建築界に影響を与える動きとなり、現在では日本における最初期の近代建築運動と位置づけられている。堀口らは学生時代に何を学び、何をきっかけとして分離派建築会を結成したのであろうか。学生時代に焦点を当て、当時の建築教育カリキュラム、交友関係、卒業論文、卒業論文などから分離派建築会結成の背景を再考したい。

日時:2013年6月1日(土) 13:30 - 17:00
場所:東京大学 本郷キャンパス 工学部1号館 3階

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定員20名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)

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研究会後、懇親会を予定しています。




第2回

「大衆」の時代 ―1910 年代から1920 年代にかけてのオランダの建築的状況―
本田昌昭(大阪工業大学 准教授)

堀口捨己は、1923 年7 月ヨーロッパへ渡り、フランスやオーストリア、ドイツといった諸国を訪れて いる。様々な事情や制約はあったであろうが、堀口がいかなる国を巡ったかということが、当時の彼 の興味の所在、あるいは、当時のヨーロッパにおける建築の「地勢」を表しているとも言い得る。限 られた滞在期間において堀口は、オランダには2度足を運び、帰国後の1924 年には、目の当たりにし た同国の建築について『現代オランダ建築』を著すこととなる。 奇しくも堀口が大学に入学した1917 年には、オランダのレイデンにおいて『デ・ステイル』誌が創刊 される。その一方、1910 年代中頃以降オランダでは、建築家の関与の下、低所得者層のための集合住 宅の建設が推進されていく。両者、すなわち、前衛的な芸術運動と社会政策は、決して乖離していた わけではなく、主題化される「大衆」という視座において重なり合うものであった。

「すべての人に住宅を」 ―ヴァイマール期ドイツにおける労働者住宅建設と建築家
中江研(神戸大学 助教)

ヴァイマール期末期となる1920 年代末から30 年代初頭,山田守,蔵田周忠,吉田鉄郎らの日本人建 築家たちが「新建築」の見聞としてドイツに遊学する。彼らが訪れた時期のドイツは,極度の住宅窮 乏状態を脱すべく,労働者用住宅の大量供給に向けた闘いの真っただ中にあった。山田はフランクフ ルトで最小限住宅を主題とした第2 回CIAM を体感し,蔵田はブルーノ・タウトらが設計したベルリン のジードルンクに住み,吉田はドイツ人建築家に『日本の住宅』の出版を勧められ,帰国後にそれを 果たした。当時の日本人建築家たちが見ておくべきものと捉えたドイツの住宅建設をめぐる状況と潮 流を探っていきたい。

日時:2012年11月24日(土) 14:00 - 17:30
場所:京都大学 楽友会館 1階 会議室

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定員20名(参加ご希望の方は、下記までご連絡ください)

法澤(京都大学田路研究室) ta-hosawa{at}archi.kyoto-u.ac.jp ([at]は"@"にご変換ください)

研究会後、懇親会を予定しています。




第1回

「ドイツ・モダニズム建築の源流 ― 青島の『改革建築』と日本分離派」
長谷川章(東京造形大学 教授)

ドイツは1871年統一後、ゲルマン民族のアイデンティティの追求のため、大文字の歴史様式に背を向け伝統へと回帰した。とくにヴィルヘルムU世の時代(1888-1918)には伝統的な農家や城郭に祖型を求めた「改革建築」が主流となった。この時代とは、まさに中国山東省膠州湾の青島がドイツ帝国海軍省直轄保護領となった1898年4月27日から、1914年11月7日に降伏し、1919年6月にヴェルサイユ条約を締結した時期に重合する。このため青島は「改革建築」の博物館の様相をなし現在に至っている。 このゲルマン的造形要素のピクチャレスク建築に感化されたのが1919年9月に青島を訪れた滝沢真弓、山田守、堀口捨己であった。翌年発表された卒業設計は「改革建築」に酷似し、分離派として日本の前衛建築の第一歩を踏み出すことになる。

「モダニズムに託されたものは何か ― ヴィルヘルム帝政期における建築とデザインの改革」
田所辰之助(日本大学 准教授)

モダニズムが生まれた背景に目を向けると、ヨーロッパにおけるのと日本とでは大きく事情が異なることがわかる。ドイツでは、バウハウスなどに先んじて、第一次世界大戦前のヴィルヘルム帝政期にさまざまな問題が露呈し、改革への先鞭がつけられていった。ベーレンスやムテジウスの世代、タウト、グロピウスがまだ三十代の頃、たとえばかれらを結びつけるプラットフォームとなったドイツ工作連盟は、いったい何を克服しようとしたのか。分離派が置かれていた時代状況との距離を計測していくことで、両者がモダニズムに託そうとしていたものの相違を浮かび上がらせていきたい。

日時:2012年10月27日(土) 13:30 - 17:00 
場所:東京大学 本郷キャンパス 工学部1号館3階 建築学専攻会議室

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